2010年名古屋御前能 劇評『松風』(椙山女学園大学教授 飯塚教授)
梅若玄祥師の「松風」を観て 椙山女学園大学教授 飯塚恵理人 名古屋御前能は三回目を迎えた。本年は名古屋開府四百年の年であり、名古屋の伝統文化を体現する優れた催しであったと思う。 今回の「松風」でアイの野村小三郎師が、脇の諸国一見の僧(高安勝久師)に浜辺の松が松風・村雨の旧跡(墓標)であることを教える場面は初めて聴く珍しい聴きものだった。松風・村雨が実は讃岐国の身分ある人の息女であり、人買いにさらわれて須磨の浦で海士となったと語る内容で、立ちシャベリの形だったが、居語りのようにしっかりと語った。小三郎師に尋ねたところ、この形式の「替之教」は、間狂言の小書で又三郎家のみに伝わるものだとのことである。ならば確かに、名古屋のものである。松風・村雨の話自体が能以前には見られず、能の創作と考えられる。しかし、玄祥師の松風が非常に上品であっただけに、松風・村雨を身分ある人の息女とする詞章を用いたことは、劇の内容としてより自然に納得出来るものだった。最近の小三郎師はとても充実していて、平成二十三年五月に十四世又三郎を襲名した。私は自身が大学生の頃、まだ六郎を襲名される前からの玄祥師のファンである。とにかく舞姿が美しい。「立ち別れ」と、橋掛りに行かれてからの、恋しい行平を思慕する舞は今回も切なく、素晴らしかった。 今回の「御前能」を機に「名古屋伝統文化を守る会」が発足した。この発会式で梅若玄祥師は、「御前能の能と言う字をとって貰いたい。これからは能も舞踊も古典芸能がともに発展するように考えたい」と言われたように、能ばかりでなく、他の伝統芸能も広く支援し、守っていくようにしたい。安田文吉氏(南山大学教授)は、「名古屋は初代藩主義直以来、殿様が芸事を好み、この影響が町人にまで広がり、芸事に関心をもつ人々が多くなり、幕末には「碁茶乱譚」なる本まで出た。囲碁・茶道・乱舞(能)を習う人で名古屋がごちゃごちゃになったと洒落るほど習い事が盛んになっていた。 名古屋は古くから、芸事(習い事)が大変盛んで、しかも一人でいくつも習っている人も多い。こういった芸好みの傾向をさらに大きくするためには、名古屋伝統文化を守る会の役割は極めて大きい。 |