2009年名古屋御前能 劇評『舎利』(椙山女学園大学教授 飯塚教授)

2009.12.11.(金)「名古屋御前能」(名古屋能楽堂)
夜の部『舎利』 〜一流の出演者による新しい舞踊劇の創造〜
椙山女学園大学教授 飯塚恵理人

img01近年、名古屋能楽堂でも能楽師による個人主催の能楽会が減っている。長引く不況のせいでもあるのだが、能の興行のシステム自体の変化も大きいだろう。従来、能の催しは多くの場合、名人とその一門が「模範演技」を弟子である愛好者に見せる場だった。従って、劇団相互の交流や新たな演出の創造は、愛好者も望まず出演者も考えなかった。
昭和末年から観世静夫(八世銕之丞)・大槻文蔵・梅若六郎(玄祥)らが取り組んだ「新作能」「復曲能」は能楽界に大きな刺激をもたらしたし、能を「古典劇」として観て楽しむ「観客」には高い評価を受けたものの、模範演技を求める「愛好者」には必ずしも評判がよくなかった。稽古をする愛好者にとっては、普段から自分が稽古している曲の方が筋も演出も分かりやすいから、「新作はわからない」という思いがあったのだろう。「観客」が高い評価をしてくれても、興行としては非常に苦しかっただろうと思う。


img01去る十二月十一日に行われた「名古屋御前能」の番組には、東京の梅若玄祥・藤間勘十郎(舞踊)・大阪の大槻文蔵・京都の片山清司・地元の野村小三郎の名前が載る。全員自らの「家」(劇団)を率いる大立者で、能・舞踊の世界で誰もが認める一流の芸術家である。東西の一流の人を揃えることはなにかと困難があり、中京テレビというテレビ局主催であるから可能になったと言える。しかも藤田六郎兵衛・後藤嘉津幸・河村眞之介という名古屋が誇る能楽囃子方が参加しており、「名古屋発・名古屋初、名古屋でしか見られない」という広告に偽りはなかった。


能の『舎利』は、簡単に言えば、舎利という宝物を盗んだ足疾鬼という鬼を韋駄天という神が捕まえ宝物を取り戻すという話であり、お伽噺のような単純な筋立てである。このような話ならば分かるだろう、「お巡りさんが大泥棒を捕まえる劇で、バトルが見せ場なんだ。」と説明して、小学校四年の息子と二年の娘を連れていった。

img01今回の『舎利』は「能と舞踊による新作」である。本文は謡曲のままで、地謡(コーラス)と能楽囃子(笛・小鼓・大鼓・鼓)に能楽囃子には入らない尺八・箏・鳴り物を加え、韋駄天を藤間勘十郎が演じて舞踊の所作を取り入れた。
前ジテ(前半の主人公)である足疾鬼の化身の里人を演じた観世喜正は、芸風が堅実上品で特に謡が素晴らしい。事前のチラシには名前が載っていなかったが、当日観た人には何よりの「御馳走」になったろう。間狂言の野村小三郎が舎利の故事来歴を話す時に、川瀬露秋の箏とピーター・ヒルの尺八が入ったが、幻想的で、間狂言に良く調和していた。
後ジテ(後半の主人公)である足疾鬼の梅若玄祥も貫禄充分で見栄えがし、韋駄天の藤間勘十郎は素早い動きのなかに洗練された美があった。娘が「あのお巡りさんかっこ良かった−。」と言っていたが、藤間勘十郎には「花」があることが子供にも理解できたようである。
舞働(戦いの場面)は通常の能の『舎利』ではない複数の鬼(山崎正道・角当直隆)との戦いであり、長くなったが梅屋右近の鳴物も入り華やかで飽きさせなかった。


img01今回の『舎利』は、「能」と「舞踊」の形式を活かした「舞踊劇の新しいジャンル」の創造に成功した「名古屋ならでは」の面白い催しだった。
このような試みがこれからも名古屋で行われ、「能」や「舞踊」の稽古をしていない新たな「観客」の獲得と「古典劇」愛好者の増加につながるよう期待したい。


東京で観世喜正主催の「のうのう能」はワークショップ付き、解説パンフ付きの初心者向けの催しで、大人気だと聞いている。観ていて気が付いたのだが、今回の「名古屋御前能」には、彼を始め藤田六郎兵衛や片山清司など、ワークショップや解説を多く手掛け、とても分かりやすいという定評がある能楽師達が出演していたのだから、彼らに事前でも当日でも「ワークショップ」的なものを行ってもらえればより分かりやすくなったかと思う。


今後「名古屋御前能」が名古屋に定着し、長く続く催しとなることを祈っている。

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