【能・狂言と文学 ―時代を越える“ことば”と“こころ”―】
名古屋能楽堂 3月定例公演
三島由紀夫「熊野」(『近代能楽集』より)
昭和34年[1959]に発表された『近代能楽集』は、三島由紀夫[1925―1970]の代表的な戯曲集である。能の作品を下敷きに、発表された当時の世相や風俗を盛り込み、「邯鄲」「綾の鼓」「卒都婆小町」「葵上」「班女」「道成寺」「熊野」「弱法師」の計8作を著した。同37年には「源氏供養」も著されたが、三島自身によって『近代能楽集』から外されている。また、「附子」「墨塗」といった狂言を現代化する構想もあった。
『近代能楽集』の「熊野」は、実業家宗盛の愛人であるユヤのもとに、病気の母から帰郷を促す手紙が届き、能の《熊野》と同じように進んでいく。しかし、宗盛から帰郷を許されたユヤが旅立とうとするところで展開し、病気のはずの母が宗盛の秘書とともに現れる。実は、母は病気ではなかった。郷里にいる恋人に会いたい一心でユヤが嘘をついたのだった。
この構想は、喜多流の秘伝に拠るという。熊野が泣いているのは、実は病母を想っているのでなく、郷里に恋人がいるから、との解釈である。そのような心持ちで舞うことにより、熊野の姿に艶っぽい美しさが生まれるのだろう。三島はそれを自らの作品の中で具現化したのだ。 三島は自伝『私の遍歴時代』(昭和38年)で、中学校1年生のとき、生まれて初めて見た歌舞伎《忠臣蔵》と能《三輪》にたちまち魅了されたことに触れ、「私が日本の芸能の神の殊遇を受けていた証拠とも言えそうである」と記している。独特の美意識に彩られた三島作品の原点には、日本の古典芸能があったのだ。
| 能 | 「熊野(ゆや)」膝行三段の舞(宝生流) | /シテ 衣斐正宜 |
| 狂言 | 「茸(くさびら)」(和泉流) | /シテ 今枝郁雄 |

