【能・狂言でたどる天下統一の道(後編)徳川秀忠】
名古屋能楽堂 正月特別公演
慶長20年(1615)7月1日、大坂夏の陣勝利の祝賀能
秀忠が二代将軍を継承してもなお、徳川家にとって豊臣秀吉の遺児・秀頼は心配の種でした。上洛を拒否し、名古屋城普請にも非協力的で、反抗の姿勢が明らかだったのです。関ヶ原合戦から10年あまり後、ようやく上洛して家康と面会したときの秀頼は、はや19歳の青年に成長しており、その潜在力は計り知れませんでした。
3年後の慶長19年7月、ついに徳川が動きました。秀頼が再建した方広寺の鐘銘に言いがかりをつけ、4ヶ月後には20万の軍勢で大坂城を包囲(大坂冬の陣)。城の外堀を埋めることを条件にいったん和解しましたが、最終的な講和は成立せず、4ヶ月後、最終決戦が幕を開けました(大坂夏の陣)。開戦からわずか二日後、大坂城は落城。秀頼と母淀君は自刃して果てました。
京都に凱旋した秀忠は、家康居城の二条城で勝利を祝う演能を行いました。そして直後の同月7日には「武家諸法度」、17日には「禁中並公家諸法度」など、統制法を相次いで発布します。そのたびに、伏見城や二条城では、祝賀の演能が催されました。政治上の重要な節目に、能と狂言は不可欠な存在だったのです。
[演目]
1、能「翁」(おきな)
2、能「三番叟」(さんばそう)
3、能「屋島」(やしま) 弓流・那須語
4、狂言「目近」(めちか)
| 公演日 | 2011(平成23)年1月3日(月)開演/14:00(開場/13:30) | チケットはこちら
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| 会 場 | 名古屋能楽堂 | |
| 料 金 | 指定:¥5,000 自由:一般/¥4,000 学生/¥3,000 (税込) ※中京テレビ事業での取扱は、指定席のみとなります。 |
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| チケット 発売所 |
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| 備 考 | ※未就学児童の入場はお断りいたします。 ※イヤホンガイド:公演当日、名古屋能楽堂にて演能の解説が聞ける受信機を無料で貸し出しします。(日本語/英語) |
