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天才肌、そして完璧主義者 孤高のピアニスト ミハイル・プレトニョフで楽しむショパンの名曲たち!メイン画像_スマートフォン
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文:東端哲也

天才肌、そして完璧主義者 孤高のピアニスト
ミハイル・プレトニョフで楽しむ
ショパンの名曲たち!

まずは、誰もが愛する
ショパンの名曲 ちょっと予習!

ショパンってどんな作曲家?

フレデリック・ショパン(1810-1849)はワルシャワ近郊に生まれ、パリを中心に活躍。同時代の様々な芸術家と親交を結びながら、詩的情緒に溢れたロマン派の極地ともいえるピアノ音楽を確立し、39歳の短い生涯のなかでその表現の可能性を深く追求した、まさに“ピアノの詩人”と呼ぶにふさわしい作曲家です。

ショパン国際ピアノコンクールでもよく演奏される! 今回の演奏曲をサッとご紹介

ポロネーズ 1番嬰ハ短調op.26-1/第6番変イ長調op.53「英雄」/第7番変イ長調op.61「幻想」

「ポロネーズ」はポーランドの宮廷を起源とする3拍子の国民的舞曲。荘重で儀式的なその性格にショパンの祖国への想いが込められています。特に有名なのは勇壮で輝かしい曲想を持つ第6番「英雄」(英雄ポロネーズ)でその名にふさわしい気高い主題が堂々と現れます。また晩年に書かれた第7番「幻想」(幻想ポロネーズ)はそれとは対称的に優雅で瞑想的な美しさに溢れた大作です。

幻想曲 ヘ短調 op.49

ショパン唯一の「幻想曲」で、女流作家ジョルジュ・サンドと最も幸せな生活を送っていた頃に書かれました。多彩な楽想が次々に紡ぎ出されていく中にも見事な統一感が醸し出された傑作です。

舟歌 嬰ヘ長調 Op.60

ヴェネツィアのゴンドラ漕ぎが口ずさむ歌のイメージから名付けられた言葉で、様々な作曲家が「舟歌(バルカロール)」と呼ばれる作品を書いています。それらの多くが8分の6拍子なのに対して、ショパンが晩年に作曲したものは8分の12拍子。ゆるやかなリズムにのせて水面に反射する光りのようにキラキラとした旋律が流れる、彼のピアノ芸術の集大成ともいえる(それ故に演奏にも高度の技術が要求される)名曲です。

夜想曲 第2番変ホ長調op.9-2/第4番ヘ長調op.15-1/7番嬰ハ短調 op.27-1/
第14番嬰ヘ短調op.48-2/第15番ヘ短調op.55-1/第18番ホ長調op.62-2

表情豊かで哀愁を帯びたピアノのための「キャラクター・ピース*」である「夜想曲(ノクターン)」は英国の作曲家ジョン・フィールドが創始したもの。ショパンはそれをより洗練された芸術性の高い作品にまで引き上げました。特に第2番はその代名詞とも言うべき人気曲で、その甘美な旋律を聴いたことがない人はいないはずです。静かな感動に満たされる時間を堪能してください。

*キャラクター・ピース:自由な発想・形式で作られたピアノ小曲

どんな人?
ミハイル・プレトニョフ

ミハイル・プレトニョフ画像

早熟の天才!

音楽家の両親のもと、1957年にロシア北西部の(白海に注ぐ北ドヴィナ川の河口近くに位置する)都市アルハンゲリスクに生まれたプレトニョフは、幼い頃から音楽の才能を発揮。13歳で中央音楽院、1974年に名門モスクワ音楽院に入学。在学中からすぐに頭角をあらわし、1977年には全ソ連邦ピアノ・コンクールで第1位に。翌1978年に弱冠21歳で、チャイコフスキー国際コンクール・ピアノ部門においてゴールド・メダル及び第1位を獲得。これによって早くも世界的に認められる存在となり、以後は驚異的なテクニックと深い知性に裏づけられた演奏、時に斬新な作品解釈を打ち出す“異端児”として、カリスマ的人気を誇る現代最高のピアニストの一人として活躍しました。日本にも1980年からたびたび演奏のために訪れています。

才能はピアノのみにあらず!

またピアノだけに留まらず、作曲や指揮にも積極的に乗り出し、1990年にはソ連で最初の私設オーケストラとなったロシア・ナショナル管弦楽団を設立。1992年には同楽団を率いて指揮者としても来日を果たしました。この他、客演指揮者としてロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団、フィルハーモニア管弦楽団をはじめとする数々のオーケストラも指揮。ボリショイ・オペラでも大成功を収めて、コンサート形式のオペラ指揮も行っています。そして2015年からは東京フィルハーモニー交響楽団の特別客演指揮者にも就任しています。

ピアニスト引退を宣言するも、 日本製ピアノとの出会いで活動を再開!

プレトニョフといえば、2006年末に突然、ピアニストを引退すると宣言してクラシック・シーンをざわつかせたのも記憶に新しい出来事。その後、数年間は指揮活動などに専念していましたが、2013年にピアニストとしての活動を再開させてファンを安堵させました。このとき彼に再びピアノへと向かう情熱を取り戻させたきっかけが、日本の誇るカワイの「Shigeru Kawai」グランドピアノとの出会いだったことは有名な話です。

ミハイル・プレトニョフ
ピアノ・リサイタル

9/18(月・祝)
13:30

世界の頂点を極めた孤高の巨匠!