【能・狂言と文学 ―時代を越える“ことば”と“こころ”―】
名古屋能楽堂 正月特別公演
よみがえる神話の世界 能《翁》・《葛城》
神話の時代、太陽神・天照大神(あまてらすおおみかみ)が弟・素戔嗚尊(すさのおのみこと)の暴挙に怒り、天の岩戸に閉じこもったため、世の中は真っ暗闇になってしまった。困った神々は天照大神を岩戸の外へ誘い出そうとし、天鈿女尊(あまのうずめのみこと)が歌い舞った。作戦は大成功!楽しそうな雰囲気に惹かれ、アマテラスはつい、岩戸を開けてしまうのだった。
『古事記』や『日本書紀』に見られる天の岩戸は、能・狂言が大成した中世には、葛城山(現在の金剛山。大阪と奈良の県境)にあると理解されていた。その葛城山の地元の神に岩戸の舞を再現させるのが、能《葛城》の眼目である。観客は、能を観ることで、神話の世界を目の当たりにするのである。
能・狂言の世界では、天の岩戸の神話は新たな展開を見せた。天鈿女尊が岩戸の前で舞を演じたことを、能・狂言の起源と考えたのである。そのことは世阿弥の伝書『風姿花伝』に記され、天照大神が岩戸を開いたとき、その光に照らされた神々の顔が白く輝いたことこそ、「面白い」という語の始まりだと述べられている。
さらに、世阿弥の娘婿にあたる金春禅竹は『明宿集』で、天照大神をはじめ、あらゆる神仏を能・狂言の神である翁に結びつけて論じている。じっさい、能《翁》に関する能楽伝書には、必ずといってよいほど「天の岩戸神話」に関する記述が見られる。また、能《翁》のひとつひとつの動きにも、神話に関する深い意味が込められているらしい。
《翁》の舞台を通して感じられる緊張感や清々しさは、そこにたしかに神が降りてくるゆえなのかもしれない。
能 | 「翁(おきな)」(観世流) | /シテ 清沢一政 三番叟 佐藤友彦 |
能 | 「葛城(かずらき)」(観世流) | /シテ 久田三津子 |
狂言 | 「酢薑(すはじかみ)」(和泉流) | /シテ 松田髙義 |